午後1時半頃、宮崎空港に到着しバスが走り出したら晴れてきた。バス2台で80数名のツアーである。バスは巨人軍のキャンプ地である宮崎市営球場の前を通り、最初の目的地青島へ向かった。
青島は、ビロー樹の茂る緑の島で、そのビロー樹は300年の樹齢だそうだ。青島神社への道端では、風除けのビニールを張って土産物を売る店が並んでいた。蘇鉄の実の鈴や貝細工、軽石などを売っていた。
鵜戸神社は、駐車場から坂道を20分ほど登り降りした岬の断崖の洞窟にあった。海岸は、火山性の岩に白い波が砕ける雄大な眺めだ。この岬には、断崖の上部を歩いて到達するので、楽に行ける。
断崖の上から下の色の変わった岩に向けて、かわらけを投げている。そのために色が変わった−訳ないか。
鵜戸神社からノンストップで霧島の林田温泉へ向かう。2時間かかる予定だ。海岸から内陸部に入って畑の中を進む。霧島連山を右手に見る。真ん中が韓国岳でその中腹に林田温泉があるそうだ。
霧島神社の前を過ぎてかなり高い所に登って来たなと思うころ、左手に煙を上げる桜島とその向こうに三角の開門岳が霞んでいる。右の方には夕日が赤く沈んで行くところだ。眼下には鹿児島空港の明かりが見え、真ん中に鹿児島湾が横たわっている。
林田温泉は、学生時代の旅行で来た所だが、思い出すものが全く無い。こんな大きなホテルに泊まったのだろうか?夕食は山腹に建てたドームシアターで、中国北京舞踊学院芸術団の公演を見ながら食べた。
磯庭園は鹿児島湾に面して正面に桜島を望む絶景のところである。ただ一つ残念なのが、海岸線を走る鹿児島本線の電線が景観を損ねていることだ。
庭園には緋寒桜が満開で、梅は過ぎていた。
鹿児島湾の埋め立て地に造った「大島紬の里」で昼食。奄美大島の客をもてなすご馳走の「けいはん」を食べる。ごはんの上に鶏肉、錦糸卵、その他をのせて鶏スープをかけて食べるもので、誰かが猫飯と言っていた。食後、庭と工場を見学。大島紬は一度染めたものを解いてから織る手間の掛かる織物だ。一日に7〜8センチしか織れないので30〜40日かかるそうだ。
池田湖の菜の花は盛りを過ぎていたが、開門岳を背景にして写真を撮る。
フラワーパーク鹿児島はまだ出来たばかりらしい。ここまで来るツアーはあまりないそうで、他の客はいなかった。ここは暖かいので普通は温室にあるものが露地に植えられていた。今の時期はパンジーが多いが、つつじも少し咲いていた。展望台からの眺めが素晴らしい。
指宿温泉には5時前に着いた。今日はのんびり温泉に浸かれた。砂風呂は有料(1050円)なのでやめた。食事も6時半と早め。
知覧は特攻隊の町であるが、広島ほど戦争を感じさせない。原爆ドームの様な目に見える遺物が無いからであろうか。また、津和野と同じように武家屋敷があり、側溝には鯉が泳いでいた。
知覧は、また茶の産地だそうで、茶畑の上に扇風機が取り付けてあった。こんなに南でもやはり霜が降りるのか。ここの茶は静岡に出荷されているそうだ。
金鉱の町串木野に来た。鉱山跡を観光地にしているのはエライ。無人のトロッコ列車に700mほど乗って、そこから坑道を歩いて見学する。鍾乳洞のように登り降りしてトロッコ列車に戻った。見る所も見尽くして列車に乗っていると前触れも無く動き出した。取り残された人はどうするのだろう。資料館で、金塊に触った。
出水に近づくと、田んぼの中を注目するようにとのこと。鶴がいるとのことだ。出水市に入ってから田んぼの中に居る鶴を見つけた。思ったより小さいなという印象だ。遠くから眺めているからかな。給餌場となっている田んぼには沢山の鶴がいた。しかし風が強くゆっくり見ていられない。早々にバスへ退きあげた。
国道328号線を走る。竹の街路樹が続く。宮之城町−かぐや姫の里だそうだ。竹は植樹されて間も無いように見える。丈は2mくらいで、葉も少ない。
最後に、焼酎工場で焼酎の飲み放題。でもそんなに飲めないよ。結局ここでしか売っていないというなつめやしの焼酎を一瓶買った。
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